明日荼毘に付しますが、何も手が付かないのでここで思い出などを綴りたいと思います。私自身看病をしながら関連のブログを漁りましたので、もしかしたら猫を飼われている方の参考になるかも知れません。
辛い内容ですので、苦手な方は読み飛ばして下さい。
名前はタン(2代目)。日本猫キジトラのオス。 |
今住んでいるマンションに越してきたのが14年前。それからほどなくして、妹が一匹の猫を引き取ってきました。動物病院で献血役として飼われていた猫で、私達が幼い頃に飼っていた猫に似ているというのが引き取った理由でした。なので、名前も同じくタン(2代目)と名付けました。初代はメスでしたが、この子はオスです。
やって来た当初はクローゼットの奥に引っ込んで目を光らせていましたが、すぐに慣れ、家中を我が物顔で闊歩するようになりました。
それから6年後、再び妹が猫を引き取ってきます。今度は生まれて1ヶ月のメス。里親としての受け入れです。野良経験の無い箱入り娘ですね。超我が侭です。
この格好! 名前はポポ。白黒のメス。 |
恐れ知らずなので、新入りの分際で家のボスにも遠慮無くちょっかいを出します。おかげで嫌われました。
近寄ればこの通り。あれ、負けてる? |
まあ、もともとタンはあまりスキンシップをしない猫で、昨年まで一緒に寝ることも膝に乗ることもほとんどありませんでした。
何かヨコセ! |
しかしながら、要求は苛烈です。『おねだり』なんて可愛いことは致しません。見て下さい。この、当然の権利だろ?と言わんばかりの顔。
さらに3年後、想定外の3匹目がやって来ます。
名前はまる。白黒はっちゃんのメス |
ある日、バス停留所で排水口から子猫の鳴き声が聞こえてきます。居合わせた妹は、バスを待っていた人達と力を合わせてその子猫を助け出しました。あらん限りの声を振り絞ったおかげで九死に一生を得たこの子は、いったん家にやって来て里親を探すことになりました。しかしながら、情が移ってそのまま居ついてしまったのはお約束です。
まるはタンが大好き |
この子はタンをとても慕っていました。タンの方がいつもつれないので、甘えて頭突きばかり繰り返していました。そのタンが亡くなった今日、遺体のある部屋には入ってきません。何か怖がっている節さえあります。
本当に珍しいツーショット |
14年間、辛いことも家庭内の不和も、この3匹のおかげで助けられてきた気がします。
全年通じて唯一!?の超レアショット |
品評会。一番美しい猫はだーれ? |
一通り紹介が終わったところで、タンに戻ります。スキンシップを余り好まないタンでしたが、ここ数年は変わってきていました。
何かヨコセ!再び |
飼い主を飼い主とも思わない態度は相変わらずですが、距離が近づいてきた感があります。
スヤァ |
寒い季節には膝に乗ることを覚えました。一度覚えると病み付きになりました。
ご満悦 |
寝るときに腕の中に入ってくることも覚えました。ただ布団を掛けられるのは好きではないらしく、しばらくすると出ていってお気に入りの場所である自分の椅子の上で丸くなるのです。
母の手を枕にして眠るのがマイブームだった時期も |
3年ほど前に自分が在宅ワークになってからは、冬場は頻繁に膝を求めてくるようになりました。
右の猫パンチが伸びる! |
なお、膝に飛び乗ってくると必ず机の上を睥睨します。こやつ、どういうわけだか餡子、求肥など和洋を問わずスイーツを形成する炭水化物に目がありません。おやつなど食べてようものなら、恐い声を上げて要求どころか直接手を出してきます。
カバンと猫 |
ブログ記事のモデルにもなってもらいました。
貴様に膝の上はまだ早い! |
老境に入り寝ていることこそ多くなってきたものの、おやつ時の攻撃は苛烈で20までは余裕で生きそうだなと思わせてくれました。
変化が起きたのは3月の頭です。食欲が減退し、水ばかり飲むようになりました。水飲み場は家の中に何カ所か置いていますが、それらを巡回しては何度も何度も水を飲みます。
やがてエサは全く口にしなくなり、急激に痩せて足もともふらつくようになってきました。
大好きだった膝の上にも飛び上がろうとして転んでしまうので、慌てて引き上げます。
毎日ほとんど一緒にいるだけに、どんどん衰弱していく様は肌で感じられました。
3月6日
恐らく多くの猫を飼われている方が想像されるように腎機能の障害を疑い、獣医の往診を受けました。通院せず来て頂いたのは極度のストレスを恐れてのことと、残り二匹も一緒に診てもらうためでした。
しかし触診、血液、尿検査とも問題なし(むしろ優秀)。不整脈のあったことだけが気がかりでしたが、そのときは色々重なった一時的なものだろうということになりました。
なお、後の二匹は当然のように問題なし!
亡くなる3日前。まると日向ぼっこ |
しかし衰弱は止まりません。自分の意志で水やトイレには行こうとしますが、足下はフラフラで滑るフローリングに悪戦苦闘しています。一度はトイレの前で座り込んでしまい、そのまま失禁しました。
夜、床につくとここ数ヶ月毎晩していたように腕の中に入ろうとします。しかし腕に頭を乗せることも出来ず、力なく丸くなるだけ。そんな姿を見ていると、涙が後から後から溢れ出てきました。
くしゃみを繰り返すようになり、目やにと鼻水で何度も顔を拭かねがならなくなりました。そしてとうとう自分で水を飲むことも出来なくなり、二度目の往診をお願いしました。
3月14日
二度目の往診ではむしろ不整脈はなりを潜めていましたが、低体温症(37度)と判断され身体を冷やさないようにと言われました。
体力を取り戻すために皮下輸液とシリンジ(針のない注射器)による食事、そして風邪のウィルスを抑えるための点鼻薬を処方してもらいました。この点鼻薬の効き目は覿面で、鼻の通りが良くなったせいか、安らかな顔で眠るようになりました。
この時は、まだ希望がありました。老齢で色々重なって体力が落ち、風邪をひいてしまったんだ。どこにも異常は無いんだから、体力さえ戻ればまた元気になるんだ、と。
流動食をシリンジで食べさせることも試みます。しかし食べる方も食べさせる方も慣れてないので悪戦苦闘です。嫌がって首を振っても元気になって欲しいと鬼の心で臨みますが、下手糞故に結局あまり食べさせられません。
今年1月。お気に入りの椅子の上。背中はこいつらにボロボロにされたひんやりシーツ |
その後も、体力は坂道を転がるように落ちていきます。身体を冷やしたくないのに、タンは風呂場の奥や机の下など涼しいところを求めます。代謝を抑えるためとも言われていますが、人間が熱を出して体温が上がると寒気を感じるように、体温が下がると逆に熱く感じるのでしょう。机の下でタオルを敷いてやっても、すぐフローリングの方に降りてしまいます。
お気に入りの椅子の上に登ろうとして果たせなかったのでしょう。自分がトイレに立って戻ってくると、爪に引っ掛けたクッションと一緒に床に転がっていました。助け上げて乗せてあげると、満足したように丸くなりました。
その夜。激しいくしゃみの音に目を覚まします。薬が切れたのかと見てみると、クッションがぐっしょりと濡れているではありませんか。輸液で水分補給されたのは良かったのですが、椅子から下りられずそのまま失禁してしまったのでしょう。幸い尿はほとんどクッションが吸い取ってくれていたため、身体は余り濡れていませんでした。
拭いてやってから念のため点鼻薬をし、椅子にタオルを敷いて乗せてあげるとくしゃみも止まり、落ち着きました。
3月15日
朝。フラフラと椅子から下りようとするので抱き上げてトイレに連れて行くと、そのままおしっこをしました。戻る力も無くそのまま座り込んでしまうので抱き上げ、シーツの上に戻します。
お昼過ぎにまた激しいくしゃみ。見てみるとやはり、シーツがぐっしょりと濡れています。慌てて新しいタオルを敷いて寝かせ直しました。
しかしまた冷たい床を求めて下に下りようとするため、どうせ失禁するならと大好きな膝の上に乗せてあげると少し落ち着きました。猫を飼っていると表情なども分かるようになってきますが、この時は何かに耐えているような表情でした。時々、今まで聞いたことも無い小さな呻き声を上げます。原因は分かりませんが、苦しみと必死に戦っているのでしょう。なのに、何もしてやれない自分が歯がゆくて仕方ありませんでした。
妹が仕事から帰ってきたときには立ち上がる力もほとんど無くなっていました。それでも、必至に這いずって涼しいところに移動しようとします。この数日、ずっと見てきたせいでしょうか。この時始めて、ああ、この子はもう死ぬ。今日か明日か、それ以上は無理だ、と悟ったのでした。
その夜、妹はタンを膝に抱いたまま寝ることにしました。自分は家長ですが、猫達を連れてきたのも実質の飼い主も妹です。このまま静かに看取ってもらうのが良いのだろう。自分もきっとその方が楽だろう、と思ってました。それは間違いでした。
3月16日
布団に入っても、息が苦しくて全く眠れません。少しウトウトしても、すぐ息が詰まって跳ね起きてしまいます。先代のタンが亡くなったのはもう20年以上前のことです。幼少の頃から一緒に育ってきた子の最期。『タンが死んでる!』と泣き叫ぶ妹の声で目が覚めたあの夜。あれがまた再現されるのかと思うと、苦しくて堪りません。物音が聞こえる度に、その時が来たのかと跳ね起きます。やがて廊下に気配を感じたので出てみます。
タンはまだ生きていました。涼しい床を求め、廊下まで這い出てきたのです。妹は傍らで静かに見守っていました。私も、これ以上苦しめたくないので暖かいところに戻そうとも言わず、そのまま部屋に戻りました。
夜が明け、空が白々としてきます。
ここ数ヶ月ほとんどいた私の部屋に向かおうとしていたので、連れてきて窓を少し開け涼しくし、我々は厚着をしてタンを見守りました。先ほどまでの自分の苦しみは嘘のように消え、とても落ち着いた気分になりました。ただひたすら、優しく撫でてあげます。どうかこのまま静かに逝ってくれ。もう苦しまないでくれ(苦しませないでくれ)。と、心の中で願いながら。
やがて妹が、一緒にベランダに出ると言いました。高層マンションなので猫達をベランダに出すことは絶対にないのですが、タンはもうだいぶ前からジャンプ力もなくなっていましたので、目の届く範囲でよく出していました。自分の部屋からベランダに出てリビングまで歩くのを日課にしていましたし、一緒に椅子に座ってそよぐ風を感じるのがとても好きでした。その姿はとても穏やかで、同時にとても儚いものでした。
いつもの高い椅子は危ないので、座椅子を持ち出してそこに座ります。どのみち、もう街を見下ろすことは出来ません。膝に乗せられたタンはさっきまでと同じ姿勢ながら、少し落ち着いているように見えました。
午前9時。部屋に妹と共に戻ってきました。もう全く力は無く、時折小さな声を上げ、手で空を掻きます。何も出来ず、我々はただ身体をさすりながら名前を呼んで上げることしか出来ません。
そして遂にその時がやって来ました。苦しそうに激しくもがき、手脚が踊ります。しかしそれも5秒ほどだったでしょうか。だらんと力が無くなり、目を見開いたまま時折痙攣するだけになりました。しかしまだ小さいながら心音は鳴っており、家族全員でせめてものと両手で包んで手脚を温めて上げます。もういいんだ、もう楽になっていいんだ、と心の中で叫びながら。
9時30分。心音も止まり、ようやくタンに安らぎが訪れました。辛かったね、よくがんばったね、楽になって良かったね、と涙が止まりませんでした。
享年15歳。夏には16歳を迎えるはずでした。
タンの身体を抱きしめたまま動かない妹を残し、自分の部屋に戻ると布団に倒れ込みます。ここ数日の看病疲れと、自分も苦しみから解放されたことから泥のように眠りました。眠りに落ちる前、タンが夢に出てきてくれないかな、と願ったのに。
晩年は腕枕が大好きで、人が仕事中でも鳴いて要求するほどでした |
長文なのにここまで読んで頂き、ありがとうございました。
長年慈しんできた愛猫との別れは本当に辛いものです。この数日は、こんな思いをするならもう二度と猫を飼うものか、と思いました。しかし家にはまだ二匹の猫が残されています。我々はこの子達を最期まで看取ってやる責任があります。だから、この悲しみを乗り越え、またこの子達とと共に歩んでいこうと思います。
別れは辛いですが、それまでに与えてくれた幸せは何物にも変えがたいものです。一緒に暮らした年月は一生の宝ですし、恐らくタンも幸せな一生だったと思います。
どうか猫を飼う皆様、いつか来るその日まで、慈しみ、愛情を注いであげて下さい。そして別れが訪れたら、頭を撫でてありがとう、と言ってやって下さい。
死後の世界は信じていませんが、どうか安らかに。本当にありがとう。
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